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トーマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯) : ミニ英和和英辞書
トーマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

トーマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯) ( リダイレクト:トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯) ) : ウィキペディア日本語版
トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)[はく]

第4代ソールズベリー伯トマス・モンタキュート(Thomas Montacute, 4th Earl of Salisbury, 1388年 - 1428年11月3日)は、中世イングランドの貴族で、百年戦争期の主要な司令官の一人。
第3代ソールズベリー伯ジョン・モンタキュートの長男だったが、1400年に父親が失脚した前王リチャード2世の復位を画策して国王ヘンリー4世の暗殺を計画し、その計画が失敗して処刑されると、モンタキュート家の所領は没収された。この後トマスは、父の失った所領の幾分かを取り戻し、さらにエレノア・ホランド〔第2代ケント伯トマス・ホランドの娘で、第4代ケント伯エドムンド・ホランドの共同女子相続人。〕と結婚する事で財政的な助けを受けた。
1409年、トマスはソールズベリー伯としてイングランド議会の召集を受ける。〔実際にソールズベリー伯として叙爵されるのは1421年の事である。〕 また1413年ヘンリー5世が即位するとその側近となり、1414年にはガーター騎士団の一員になり、1415年7月にはケンブリッジ伯リチャード・オブ・コニスバラを国王に対する反逆罪で裁判にかけた7人の貴族の一人になった。
その後、トマスはフランス戦線のヘンリー5世に合流し、この年のアルフレール包囲戦アジャンクールの戦いに参加した。トマス・モンタキュートはその後数年間、フランスにおける様々な会戦に従軍した。1419年、彼はノルマンディーの陸将に任じられた。それ以降も数々の包囲戦に部隊を率いて参戦したトマスであったが、オルレアン包囲戦最中の1428年10月27日、立っていた窓のすぐそばに砲弾が命中し、数日後に死亡した。後任にはサフォーク公が任命された。
トマス・モンタキュートは2度結婚している。最初の妻はエレノア・ホランドで、2番目はアリス・チョーサー〔ジェフリー・チョーサーの孫娘〕である。彼等はバークシャーのビシャム・アベィに住んでいた。彼の死後、爵位は唯一の嫡出子であるアリスの夫リチャード・ネヴィルが継承した。
== 脚注 ==








抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thomas Montacute, 4th Earl of Salisbury 」があります。




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